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金糸雀堂  ‐自己満足(建築)写真サイト‐  日記と称して、ほぼ趣味の部屋です。
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20130210-06

OLYMPUS E-520 + ZUIKO DIGITAL ED 14-42mm F3.5-5.6 + MARUMI MC-UV

今年の初詣最終地点、第2産業道路を跨いで参道が伸びる中川神社。

武蔵国一宮・氷川神社と見沼の氷川女體神社を直線で結ぶと、

だいたい中間地点に存在する神社です。

拍手


20130210-07

OLYMPUS E-520 + ZUIKO DIGITAL ED 14-42mm F3.5-5.6 + MARUMI MC-UV

鳥居から境内を臨む。産業道路から近いのに、それを感じさせない静けさ。

鳥居に掛かるしめ縄がちょっと変わってる。

20130210-08

OLYMPUS E-520 + ZUIKO DIGITAL ED 14-42mm F3.5-5.6 + MARUMI MC-UV

とても雰囲気の良い神社でした。

案内看板より。

 中山神社は、かつて中氷川神社と呼ばれた中川の鎮守である。

 創建を人皇十代崇神天皇の御代2年と伝えられる古社である。

 明治47年7月、神社合祀の際に社名を現在の中山神社に改められたが、

 今でも通称は「中氷川神社」で通っている。

 「中氷川」の由来は一説には、見沼に面した高鼻・三室(浦和)・中川のちに氷川社があり、

 各々、男体宮、女体宮、簸王子(ひおうじ)宮を祀り、

 当社が高鼻(男体)、三室(女体)の中間に位置したところから付けられたという。


20130210-09

OLYMPUS E-520 + ZUIKO DIGITAL ED 14-42mm F3.5-5.6 + MARUMI MC-UV

天正19年(1591)11月、徳川家康から社領15石の御朱印を賜った格式のある神社。

御祭神は

 大己貴命(おおなむちのみこと)
 
 素盞鳴命(しさのおのみこと)

 稲田姫命(いなだひめのみこと)


20130210-10

OLYMPUS E-520 + ZUIKO DIGITAL ED 14-42mm F3.5-5.6 + MARUMI MC-UV

隙間から本殿を覗く。

20130210-11

OLYMPUS E-520 + ZUIKO DIGITAL ED 14-42mm F3.5-5.6 + MARUMI MC-UV

御本殿の屋根。銅葺。

鰹木(勝男木)は3本、千木は外削ぎ(先端が地面に対して垂直)なので、祀られているのはやっぱり男神。

上の写真からだと、鰹木の本数は見えないけれど・・・

懸魚(げぎょ)の釘隠しの金物がちょっと変わった形。

破風の金物には細かい彫刻が施されていました。

20130210-12

OLYMPUS E-520 + ZUIKO DIGITAL ED 14-42mm F3.5-5.6 + MARUMI MC-UV

本殿の裏に保存されている旧社殿。市指定文化財です。

 旧社殿は、板張り床の外陣(げじん)に至る階段を設け、

 祭神を安置する母屋前方の屋根を、角度を変えて軒先よりさらに長くして、

 反りを付した板葺の二間社です。

 また、社殿側面の床板には脇障子や端の反りかえった欄干がついていた痕跡が見受けられます。

 このような造りを「流造り(ながれづくり)」といい、一間社で社殿正面の階段や脇障子のないものを

 「見世棚造り(みせだなづくり)」といい社殿のもとになる型です。

 「見世棚造り」から「流造り」に発展していく過渡期の遺構で、

 室町末期から桃山期にかけて建てられた市内最古の建造物です。

 埼玉における中世末期の神社建築史にとって貴重な文化財です。


20130210-13

OLYMPUS E-520 + ZUIKO DIGITAL ED 14-42mm F3.5-5.6 + MARUMI MC-UV

 境内では12月8日に神事の「鎮火祭」が執り行われていましたが、

 現在は社殿前に建立された「御火塚」と記された小さな石碑がその名残を留めているにすぎません。

 この鎮火祭の火によって「中氷川」の氷が溶けてしまい、

 この地を中川と呼ぶようになったとも言われています。


 「鎮火祭」とは、焚き終わった炭火の上を素足で渡り、

 無病息災及び火難がないように祈願するものです。



近年中断されていた祭礼ですが、2007年より再開されたらしいです。

写真を撮っていたら、参拝客の方からお話を伺うことが出来ました。

今年年末ごろにもう一度来なければ!!

20130210-14

OLYMPUS E-520 + ZUIKO DIGITAL ED 14-42mm F3.5-5.6 + MARUMI MC-UV

鳥居をでてすぐの所にある石碑。

社殿と塀(恐らく瑞垣)の改築記念らしい。
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