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金糸雀堂  ‐自己満足(建築)写真サイト‐  日記と称して、ほぼ趣味の部屋です。
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4月も3日となりました。はやい、はやいねぇ。

我が家の桜は、一昨日、母が開花宣言をしたそうです。(姉上談)

いつもはこのくらいの時期になると、だいぶ暖かいのですが、

今年はまだ、寒いひが続きますね…

久々にPCの前に腰掛けておりますが、

指先・足元の末端からの寒さが堪えます。

桜の写真を撮ろうという気が完全に失せる位です。

なので、今年はもう少し開花してからの写真撮影となりそうです。


今現在、窓から見える様子は、蕾がだいぶほころび、

先端から濃い目の桜色が覗いています。

とお目に見ると、枝全体が紅・薄紅に見えますかねぇ。

来週…今週末くらいには、だいぶ花が開くのではないでしょうか。

写真を撮る前に散らない事を願うばかりです。

拍手


拍手御礼は最下部に…




遅くなりましたが、

震災に於いて被災された方々にお見舞い申し上げるとともに、

亡くなられた方々、ご遺族の方々に深く哀悼の意を…


復興への道のりは長く、厳しいものかもしれません。

けれど、世界は日本の復興は早いものと予想しています。

一人ひとり、出来ることは少なく、小さなものかもしれないけれど、

協力して、共に、一歩ずつでも前へ進めたらと思います。







※大きな被害を受けなかった方でも、繰り返し映像等を見ることで

 PTSD(心的外傷後ストレス障害)になる場合があるそうです。

 以下、地震当日の記述となりますので、各自のご判断でお進み下さい。





以下、3月11日の記憶。

 


前日、3月10日の記事に書いたとおり、

当日午後より新宿某ビルで開催される講演会に行くべく、

13時過ぎに会社事務所を出発。

昼下がり、のどかな気候。

部長と主に家電の話をしながら電車で移動。

乗り換えの駅、車内、新宿駅周辺には袴姿の女子大生(多分)たち。

「卒業シーズンだねぇ」なんて事を話しながら徒歩移動。

信号待ちの交差点で、ふと見上げた空。

事務所を出た時はそこそこ晴れていましたが、

雨を降らしそうな黒い雲が、

首都高速上空にかかりはじめた事をなんとなく覚えている。


13時50分頃だったと思いますが、目的地のビルに到着。

講演会のお知らせのプリントアウトを確認しながら、まずはビル6階へ。

講演会を主催するメーカーのショールームで開催される予定でしたが、

会場が変更になったようで、同ビル24階のセミナールームへ更に移動。

会場変更もあってか、開始時刻の割に受付付近には人がまばらで、

メーカーの資料などが入った紙袋、お茶を受け取って会場へ。

開始までの間に袋の中身を色々確認。


14時過ぎ。講演会開始。

順調に進めば講演は1時間程度で終了し、

その後メーカーのセミナーが1時間程度ある予定でした。


14時46分。

正確な時間はその時見てもいなかった。のちに知った時間です。


最初に小さく下から突き上げるような感覚。

一応講演中なので、隣の部長に目配せ。

『地震だね』

カタカタと揺れた後に、少しずつ、緩やかに、そして大きく水平回転するような揺れ。

思いの外、長く大きな揺れに、講演の声は止まり、会場内もざわめきが広がる。

部屋の隅、天井の隅からはミシミシという音が聞こえ、

天井が落ちてくる、或いは、床が抜けるのではないかという恐怖を覚えた。

講演会途中ではあったけれど、ツイッターで地震情報を確認。

震源地・宮城県沖。その時の速報ではM7.7。

これが、地震中であったか、地震の揺れが一旦納まった後であったかはよく覚えていない。


メーカーの人たちが、講演会を一度ストップさせ、休憩に。

その間、部長はワンセグニュースを確認。

震源地の様子についてはまだ分からない。

お台場の方で黒煙を上げる建物が遠目に見られた。

余震と見られる大きな揺れが続く。

24階の窓から見える景色も、左右に揺れ続け、

会場内のアチコチからワンセグからの音が聞こえる。

「都庁が振り子のように揺れている」

誰かがそう言ったのが聞こえた。(自分は未確認)


ビルの館内放送で、ビルの安全性、地震の状況等が知らされる。

最初の放送では新宿・震度3との事で、

部長と二人で「震度3でこれじゃぁ高層マンションには住めないね(笑)」という話をした記憶。

照明は変わらずに点いていたが、エレベーターは安全確認のため運転中止。

水はどうなんだ?と思い、講演休憩中の間にトイレへ。


用をたした後、エレベーターホールから見える新宿の景色を撮影。

それが、当日夜に投稿した記事の写真。

20110403-01.jpg

POKET DIGITAL CAMERA SQ30m GARDEN / NORMAL

携帯でも撮った上に、トイデジカメでも撮っている自分…割と、余裕あった。

同じくエレベーターホールから外の様子を見ていたご婦人と、一言二言言葉を交わす。

いつもと変わらないと思われる景色。

けど、高速閉鎖の報道があった通り、高速道路を走る車の姿はなかった。

とりあえず、付近で火災が起きている様子はなかったのに安心した。


席に戻り、しばし待機。

まだ揺れる。



15時17分。

携帯で6秒足らずの動画を撮ってみた。

SALでも録画したけれど、窓の外はハレーションで写らず…

エレベーターホールで出会った女性だけでなく、

セミナー会場に同席した人たちは、ほんの一時ここでの時間を共有するだけだったけれど、

不安からか、見知らぬ周囲の人と少し会話を交わす様子が見られた。


そして…


講演会、再開。


この話をする度に笑われる。

いや、不謹慎な事だけれど、笑い話になって良かった。

正直、一度目は大丈夫でも、二度目に大きな揺れが来た場合に、

果たして無事でいられるか、保証なんてどこにもない状態だったし、

最悪の場合、首から下げた名刺が、身元確認の役に立つかもしれないとも思った。


途中、定期的に流れる館内放送で中断をはさみつつ、講演会は終了。
 

講演された方は、年齢は親と同じか、少し上の方だったと記憶しているが、

地震の揺れにも動揺することなく、話を続ける姿は、本当に凄いと思った。

会場スタッフとして会場内に立つメーカーの方々の対応も、とても冷静なものであった。

そして、会場にいる自分を含め、多数の人も、

地震時に慌てることなく、席にとどまり続けた。

エレベーターが止まり、交通網がマヒしているという情報もあったけれど、

参加者のほとんどが講演会に続き、セミナーまで聞いていた。


当初の予定では16時迄であった今日のプログラムも、

終了した時刻は17時に近い。

このあたりから、時計を見たにも関わらず、記憶に残る時刻がない。


セミナー室の隣に、急きょ部屋が用意され、

水と簡易的な食料が配布された。

この対応はとても迅速なもので、スタッフの方々には頭が下がるばかり。

20110403-02.JPG

16時55分。(写真の記録より)

新宿駅へと続く幹線道路は、渋滞が発生している。



待機室として通された部屋には、テレビがあり、

ここで初めて地震の規模と、被害の大きさを目の当たりにする。

燃え盛るコンビナート。

田畑や住宅、空港をも飲みこむ津波。

次々に映し出される映像が事実とはなかなか思えなかった。

待機中、16時過ぎに来た父からの着信履歴とメールを確認。

携帯の電波状況はみるみる内に悪化し、通話もメールも困難となる。

安否確認の伝言板も171も、使えない。

つながったと思った電話は、混雑の為つながらないという案内ばかり。

18時ごろに職場で待機中という姉上と連絡が取れた。

自宅にいるはずの母とは連絡が取れない。不安が募る。

ニュースに各地の情報が映し出される度に、埼玉での被害情報が出るのではないか。

連絡がつかないという事が、どれだけ不安を煽るものなのか初めて実感した。


メーカースタッフの方達による配給に続き、

ビル管理の側からも、カロリーメイトの配給がされるとの案内があった。

混乱を防ぐため各事業所担当者が、必要量を確認し、

取りにくるように、と、こちらも冷静であった。


18時半ごろ、だったと思う。

ここで、こうしていても状況は変わらない。

事務所に戻れば車がある。

ここに残ることが良いのか、移動することが良いのか判断はつかない。

あとで、移動したことを後悔するかもしれない。

でも、この状況下で単独行動をとるのは危険。

そう考えて、部長と二人、徒歩にて移動を開始した。


受付でもらった資料は徒歩では荷物になるとして、返却し、

水と僅かなお菓子を持っての移動となった。

もちろんエレベーターはまだ復旧していない。非常階段を使って地上階を目指す。

降り始めた非常階段の壁面および四隅には、細かいヒビが入っている。

階を下るごとにその様子は酷くなり、1階に着く頃には壁の一部が剥離する様子もあった。

中には、非常階段のドアノブが激しく打ち付けられたと思われる個所もあった。

表面の仕上げだけだとは思うけれど、軽く衝撃を受ける。

ビル管理側の配給や、近辺の店舗で買ったと思われる人たちとすれ違う。

中にはメーカーの担当営業さんもいらっしゃった。

何十階という高さの上り下り、しかも荷物を持ってでは大変だと思う。


館内放送でしきりに「関東大震災にも耐えうる」と言っていたが、

地震の予知なんてできないし、ましてや規模さえ想像がつかない中、

それが安心の要素となるのかは微妙な所。

宮城沖を引き金に、連続多発する地震が、いつ関東を襲うとも限らないのだ。


ビル1階のホールにはブルーシートが敷かれ、何人かが座り込んでいる。

ビルの外は乗用車を始め、バス、工事車両等様々な車が渋滞を作っていた。

新宿駅南口へ向かう道は徒歩でも混雑が予想されたため、

ビルを出て、西口方面へ向かう。

付近のビルでは外装が落ちていたり、ポーチに亀裂が入っていたり。

頭上から落ちてくるものに警戒しつつ、なるべく車道側を歩く。

都庁下の天然ガススタンドに怯え、足早に過ぎる自分がいた。

コンビナートやガソリンスタンドが炎上する映像を目の当たりにしたのだ。当然だと思う。

西口には大型家電量販店があり、そこで携帯の充電器を買う魂胆であったが、

混乱を避けるためか、数件ある電気店はどこもシャッターを下ろしていた。

それに比べ、飲食店は店を開け、客は列を作り、中にはお酒を飲む人もいた。

コンビニの棚からは食品・飲料水がなくなった様子が外からでも分かる。

自分が恐れていたような、店舗襲撃とかクラクションの嵐とか、そういったものには出会わなかった。

のちの報道等でもあった通り、日本って本当に凄い国です。


周りの携帯という携帯から、緊急地震速報を伝えるアラーム。

結構、これは恐怖だ。自分の携帯は機種が古いのでうんともすんとも言わない。

交差点の角、落ちてくるものはないか、注意は四方八方へと向けられる。

交差点内は車がすし詰め状態。車の隙間を歩きながら停電にならなった事に、素直に感謝。


JRをはじめとする各路線の運行情報を確認。

地上を走る都電荒川線がいち早く復旧した。

これに乗れば、事務所の近くまで移動できる!

部長のiPodで道を確認しつつ、早稲田までの最短ルートを歩く事になった。


新大久保付近。

ドンキホーテが店を開けていたので、携帯充電機を求めて店内へ。

ドンキホーテのどの店舗をとってもいえることですが、店内は迷路のようで、

今、この状況で再び大きな地震が起きたらどうなるか分からない。

けど、連絡手段は何としても確保しなくては!

こういう状況下なので、品切れを心配したが、予備の電池も合わせて購入できた。

意外にも普通に買い物している人が多くてびっくりした。

そして、トイレ休憩。

階段部分に露出している梁に大きな亀裂が入り、気が気でない。

外に出れば、自転車を購入する長蛇の列が出来ていた。

自分たちは…途中山あり・谷ありありなので自転車はちょっと大変そうだなぁ、

電動アシスト付きなら…というような会話をした。

キックボードを買っている人がいた。あれは正解だと思う。

今思えば、地震から数時間にもかかわらず、店内の商品は割とちゃんと並べられていた。

立地条件によっては、それほど商品が落ちるということは無かったのかもしれない。


早稲田へ向かう途中。

自分の中にはそのあたりの地理情報が皆無なのですが、

寺院が多く存在する一帯があり、中にはトイレを貸して下さる所もあった。

ひたすら歩くしかない人にとって、その申し出はとても助かるだろうし、

何より、その気持ちが暖かく、嬉しい。


早稲田大学通過。

大学に残る生徒・教職員の為か、倉庫から色々な物資が運び出されていた。

ライトアップされる講堂。

こんな時で無かったら、写真を撮っていたに違いない。


都電荒川線・早稲田駅着。多分21時近い。

停車中の電車に乗客はまだ乗っていない。そして乗車を待つ人の列。

乗車を開始し、列の3/5程度が乗車。次の電車には乗れそうでほっと一息。

ここでやっと、持ち歩いていた水を一口飲む。

次に着いた電車に無事乗車し、都電は緩々と運転を開始した。

目的駅は反対の終点に近い。(都電は早稲田~三ノ輪間を運行します。)

途中駅にも人は溢れ、降りる人は少なく、乗ることのできる人は限られる。

窓の外に見える多くの人に申し訳ない気持ち。どうしようもない。

乗車中に自宅からのメールを確認。家族と自宅の無事が確認できて、少し安心した。


会社最寄駅着。22時過ぎ。

駅前で遅い夕飯。

店内のテレビには東北地方を襲った津波の映像が映し出されていた。

20110403-03.JPG

空腹をこらえ、ひたすら歩いた体に、温かい食べ物。有難い事です。

多少量は多く感じたけれど、この後どうなるか分からないから、残さず食べた。


お腹も膨れ、見知った街並みに少し気持ちの余裕が出来た。

「スニーカーで良かった」とか、そういう話をしながら歩いた。


23時より少し前。

誰か事務所に残っているものと思っていたが、正面道路を照らす照明を残して、

社内には暗闇が満ちていた。

正面からは分からずとも…!と望みを託すも、誰も居ない。

部長は事務所の電話から自宅や、会社役員等に連絡を取る。

自分も一応家にメールを送った。


その他電車は運転取り止めとなったため、自宅へ戻る手段がなくなり、

どこへ向かうにしても道路は渋滞している。

社員の中にはホテルに泊まるひと、同方向の人の車に乗せてもらう人、

自転車で帰る人、それぞれの方法で落ち着く場所へと移動したとの話を聞いた。

正直、自分は事務所で一夜をあかすことを覚悟していたけれど、

会社付近に住む先輩のお宅に一晩泊めて頂ける事になった。

ご夫婦ともに会社の先輩。だけど、生後1年にも満たないお子さんがいる家に、

泊めて頂く事にとても気が引けた。

暖かいお茶、フレーバーティーに心休まる。

お風呂も沸かして頂いて、温かい布団を用意して頂いて、本当に有難かった。


12日に日付が変わり、1時過ぎ布団に入る。

充電し始めた携帯電話には友達からの安否確認のメール。

自分は自分の事と、自分の家族の事しか考えられなかったのに、

こうして気遣ってくれる友達が居ることに感謝。

ツイッター、ミクシィ等自分が使うツールで安否確認できた分は一緒にお知らせをした。

横になったものの、一日の出来事があまりの事過ぎて興奮冷めやらず、

寝ている間にも何度か余震が続き、眠ったというには程遠い仮眠をとった。


午前7時。

寝る時間が遅かった割に、早起きしたのはやはりこの状況下だからでしょうか。

先輩が朝食代わりにパウンドケーキを出してくれた。

夜が明け、テレビからは新しい画像がとめどなく流れていた。


7時半。自宅に帰るべく移動開始。

都電は朝から通常通り運行との事で、まずは都電の駅へ向かう。

途中のコンビニでウィダーインゼリーとポケットティッシュを買う。

前日の朝以降、花粉症の薬を飲んでいないのに、症状が軽い事が救いだった。


20110403-04.jpg

POKET DIGITAL CAMERA SQ30m GARDEN / NORMAL

この場所の、いつもの朝の風景は知らない。

でも、普通に車は走り、普通にコンビニは営業している。

駅へ着くまでの間に、外壁がはがれた建物を何棟か見かけたけれど、

はがれおちた残骸は綺麗に片づけられ、街並みは何事も無かったように朝を迎えていた。


込んでいる事を覚悟した都電は、意外というほど空いており、座る事も出来た。

JR線接続の乗り換え駅までの間に簡易的な朝食を済ます。先はまだ長いのだ。


王子駅着。

運行を再開したはずの電車が来ない。ホームは溢れんばかりの人が、

それでもしゃんと列を作って並んでいた。

来ない電車にいらだち、ホームに立つ駅員さんに叫ぶ人も居たけれど、

それ以上に静かに情報を確認しながら電車を待つ人の方が多い。

誰もが疲れ、誰かに当たりたい気持ちがあったはずだけれど、

今その場にいる人は皆、自分と似たりよったりの苦労をしてその場に立っているのだ。


ようやく来た電車は次の駅までしか進まない。

けれど、ここで立っていても、少しも埼玉には近付かない。

少しでも、ひと駅でも進めるだけ進むべきと判断して一つ進む。

結局後から来る電車は既にひとの入る余地はなく、2本見送った所で別ルートへ。

駅から歩いて地下鉄の駅へ。

今思えば、王子にいる時点でJRではなく、地下鉄を使用すべきであった…

あぁ、何という歩き損…


地下鉄に乗りかえ、荒川を渡り、埼玉県へ。

川口元郷から再びJR線に乗るべく、再び歩き出す。

家にたどり着くまでまだかかるけれど、荒川を無事渡り、埼玉へ戻った事で

だいぶ気持ちは楽になった。

20110403-04.JPG

駅まで歩く途中で、写真を撮る余裕が生まれたw

川口駅まで歩き、少し遅れて到着した電車に乗り、

スピードを落として走行している電車は多くの人を運んで行く。


午前中に何とか地元着。

地震発生から20時間以上経過。

地元の風景はいつもと変わらない。それだけで何故か安心する。

家に電話し、お昼御飯について確認。普通にお店があいているのもびっくりだ。

自宅へ向かう道のりも、心なしか足が軽い。

まぁ、そのあと自分の部屋の惨状を復元するのに時間を費やす事になるのですが…


埼玉県には海がなく、秩父の方へ行かなければ山らしい山は無い。

観光名所もたいしてなく、何かのアンケートで住みにくい土地No.1になったりもしたけれど、

なかなか頼もしい土地ですよ、埼玉は。
 



3月11日から今日に至るまでの震源地・規模・回数が

分かりやすいサイトを教えて頂いたので、リンクを張っておきます。

http://www.japanquakemap.com/?lang=jp

結構衝撃的です。

「Sticky Dots」という項目にチェックを入れると、各震源位置がドットで残ります。

震災の数日前にもほぼ同じ震源で少し大きめの地震がありました。

今思えば、あれも今回の地震の前触れだったのかもしれません。
 




地震後、拍手・拍手コメントの確認が出来ず、申し訳ない限りです。

拍手コメントありがとございました!

反応が遅くなりましたが、新動画拝見しました!!

斎藤さん、麗しい…

曲も良い曲ですね!ボーカロイド用の書き下ろしなんですね!


明日までは計画停電の予定は無いようですが、

明後日、5日(火曜日)からは再び実施が始まるようです。

またしばらく携帯からの投稿になるかと思います^^;
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